看護師の業務としての「診療の補助行為」についての考察

看護師の業務としての「診療の補助行為」についての考察

加藤 済仁(弁護士・医師)
蒔田 覚(弁護士)

I. はじめに

2007年3月30日付厚生労働省医政局長通知の波紋

愛知県豊橋市の産婦人科診療所、横浜市内のH病院において看護師に内診を行わせていたことが、刑事事件として捜査対象になったこのことは、マスコミでも大々的に取り上げられ、社会的関心を集めた。いずれの事案も、刑事処分は起訴猶予として終了している。起訴猶予とは、不起訴処分の一つであるが、公訴する十分な嫌疑があることを前提に、犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追をしないという検察官による終局的な処分である(刑事訴訟法248条)。

刑事訴追が見送られたため、看護師・准看護師(以下「看護師ら」と表記)による「内診」が保助看法30条に違反する「無資格助産」に該当するか否かについての裁判所の判断(司法的判断)は示されていない。保助看法30条は、「助産師でない者は、第3条に規定する業をしてはならない。ただし、医師法の規定に基づいて行う場合は、この限りでない。」と規定し、助産師、医師以外の者が助産を行うことを禁止している。しかし、いかなる行為が「助産」に含まれるかについて法は何も語っていない。

厚生労働省は、2002年11月14日付け都道府県への通知の中で、内診が医師や助産師しかできない助産行為に含まれると定義し、さらに2004年9月13日付け厚生労働省医政局看護課長通知でも、医師の指示があっても看護師は内診をしてはならないとの見解を示していた。この通知を前提にすれば、看護師らによる内診が保助看法30条に違反する無資格助産に該当することになるが、この通知は一つの行政見解を示したにすぎず、法的拘束力を有するものかは評価の分かれるところである。

かつて、看護師らによる静脈注射は「看護師の業務の範囲外の行為であり、医師または歯科医師の指示があってもこれを行うことができない」との行政解釈が示されていた(昭和26年9月15日付け旧厚生省医務局長通知)が、司法判断においては、保助看法5条に定める「診療の補助」の範疇に含まれるとの運用が定着していた。最終的には、平成14年9月30日厚労省医政局長通知において「医師又は歯科医師の指示の下に保健師、助産師、看護師及び准看護師(以下「看護師等」という。)が行う静脈注射は、保健師助産師看護師法第5条に規定する診療の補助行為の範疇として取り扱うものとする。」と行政解釈が変更されたことにより、行政判断と司法判断の不一致は解消された。同様の事態は、「内診」の評価をめぐっても十分に考えられるところである。

本件後にも、2007年3月30日付け厚生労働省医政局長通知において、「看護師等は、(中略)分娩期においては、自らの判断で分娩の進行管理は行うことができず、医師又は助産師の指示監督の下、診療又は助産の補助を担い、産婦の看護を行う。」との見解が示されたために、看護師らは、診療の補助として「内診」を行えるのではないかという議論を呼んだ。厚生労働省から、上記通知は「看護師及び准看護師の内診行為を解除する趣旨のものではない。看護師等による内診については、これまで2回の看護課長通知で示した解釈のまま変わっていない(内診の実施は、保健師助産師看護師法第3条で規定する助産であり、助産師または医師以外の者が行ってはならない)。」という見解が示され、今日に至っている。

以上の流れの中で、日本看護協会では「看護師および准看護師は、自己の免許に伴う法的責任を正しく認識し、これを超える業務の実施を求められた場合には、明確に拒否すべきである。」との立場を明らかにした。(http://www.nurse.or.jp/home/opinion/newsrelease

この問題は、看護師らによる「内診」は許されないということで、一応の決着をみたことになろう。しかし、この解決が果たして最良の結果であったといえるのであろうか。医療従事者にとって「刑事処分」は、我々法律家が考える以上に重い処分として受け止められている。刑事処分は「一罰百戒」の効果が期待できるが、その副作用が大きいために慎重な配慮が必要となる。

医師、助産師が十分に足りているのであれば、看護師らが殊更「内診」を実施する必要性は乏しいといえるが、現実には産科領域における医師・助産師不足は社会的問題にまでなっている。この点に目を瞑り、一事件の解決をみたとしても、何ら根本的な解決にはならない。看護師の内診の問題は、様々な観点からの検討・議論がなされた上で結論を導くべきであったが、刑事処分の流れのなかで過剰な反応となってしまったことは残念でならない。本稿では、看護業務の内容を概括した上で、看護師の業務として許される「診療の補助」とは何か、改めて考えてみたい。

II. 看護師の業務について

「療養上の世話」と「診療の補助」のもつ二面性

 

保助看法5条において、「看護師とは、厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじょく婦に対する『療養上の世話』又は『診療の補助』を行うことを業とする者」とされている。

「療養上の世話」とは、患者の症状等の観察、環境整備、食事の世話、清拭及び排泄の介助、生活指導などであり、看護師の主体的な判断と技術をもって行う、看護師の本来的な業務を指す。一方、「診療の補助」とは、身体的侵襲の比較的軽微な医療行為の一部について補助するもので、比較的単純なものから、採血、静脈注射、点滴、医療機器の操作、処置など多岐にわたっている。

療養上の世話が看護師の主体的判断による看護師の本来的業務であるのに対し、診療の補助は、本来的には医師が行うべき医行為の一部につき「医師の指示に基づく」という条件を付した上で、看護師にも許容した業務という位置づけが可能である。保助看法37条は、「主治の医師又は歯科医師の指示があった場合を除くほか、診療器械を使用し、医薬品を授与し、医薬品についての指示をし、その他医師又は歯科医師が行うのでなければ衛生上、危害を生ずるおそれのある行為をしてはならない(臨時の応急の手当てを例外的に許容)。」と規定し、「医師の指示」なしに「診療の補助」を行うことを禁止する。「療養上の世話」に関しては、このような制限規定が存在しないこと、医師の指示によらなくとも保健衛生上の危害が生じるおそれがないことから、看護師は、医師の指示なしに行うことができるというのが一般的な理解である。

しかしながら、「療養上の世話」と「診療の補助」の区別は必ずしも容易ではない。例えば、看護師の中心的業務の一つである「経過観察」は、通常、療養上の世話と理解されているが、一般的な観察を超えて、当該患者の病状に応じて必要な所見(胸部所見、腹部所見、下腿浮腫の有無、主訴 etc)を把握することは医師による『診断』の補助行為としても位置づけられる性質のものである。

なお、経過観察が問題となった下級審の裁判例の中には、「医師から患者の容態に変化があった場合に直ちに当直医に報告するよう指示がないとしても看護師としては当然採るべき措置」と判示したもの(大阪地判平11.2.25 判例タイムズ1038・242)や、「医師に適切な『療養上の世話』が行われるように指示する義務がある」と判示したもの(東京高裁平14.1.31 判例時報1790・119)もあり、司法判断においても経過観察の位置づけに混乱が見られる。このように、経過観察には「療養上の世話」と「診療の補助」という二面性があることは否定できず、両者を明確に区別するよりも、医療現場において、具体的に療養上の世話を行う際に医師の意見を求めるべきかどうかについて適切に判断できる看護師らの能力、専門性を養っていくことが重要である。

III. 医師法との関係について

「医師法17条」と「保助看法37条」の相対的関係

医師法17条は「医師でなければ、医業をなしてはならない。」と規定し、医師でない者の医行為を禁止している。診断、手術、処方といった医行為については、高度な医学的知識、経験、技術を有する医師自身が行うのでなければ、『健康危害』を生ずるおそれがあり、医師の具体的指示があったとしても看護師がこれを行うことは許されない。

一方、保助看法37条は、医師の指示があれば、看護師が診療器械の使用、医薬品の授与その他の医療行為を行うことを許容している。この点で、医師の業務と看護師の業務とは重なり合う。(図1参照)

図1・看護師の業務

 

一般に、「療養上の世話」といった看護師本来の業務を「絶対的看護行為」、看護師が診療の補助として行える行為を「相対的医行為(相対的看護行為)」、医師のみが行える行為を「絶対的医行為」という区分がなされている。(図2参照)

図2・医師と看護師の関係

しかし、「療養上の世話」と「診療の補助」との区別が相対的であったように、「絶対的医行為」と「相対的医行為」との区別も絶対的なものではない。先に示した静脈注射についての行政解釈の変更の例からも明らかなように、『看護師』の専門的知識及び技術の向上、時代的要因、国民の理解等により変化する。今後の医療機器の発達、看護教育、研修、研鑽の充実に伴い、看護師の業務範囲はますます拡大していくものと考えられる。

平成18年の法改正により、看護師の「名称独占規制」が導入され、平成19年4月1日以降、看護師以外の者が看護師の名称を用いることが禁止された。法改正は、看護師の専門性をより高めるものであると評価できる。

以前は、医師と看護師との関係について、自ら判断し指揮監督する『医師=頭脳』、それに従って診療補助行為をする『看護師=手足』という図式(看護師手足論)で捉えられていた。古い裁判例だが、調剤に関する事例で「自己が当然になすべき職務行為の一部を自らの『手足におけるのと同一の関係』において担当せしむるもの」と判示した(大判昭13・10・14)ものが存在する。この考え方は、専門職である看護師の地位を十分に理解しないものであるが、一方で、法的責任を免除するための理論として機能していたことも事実である。看護師の専門性が認められれば、それに見合う法的責任が課せられることを忘れてはならない。

IV. 看護師の法的責任の構造

ピラミッド型モデル医療からチーム医療モデルへの変化がもたらすもの

看護師は、(1) 民事責任、(2) 刑事責任、(3) 行政責任といった三つの法的責任を負担している。(1) は被害者側に一定の金銭的賠償をする責任、(2) はいわゆる刑罰、(3) は免許の取消し、業務停止等の行政罰である。看護業務は、看護師免許を有する者のみが行いうる専門的業務である(保助看法31条1項−平成18年の法改正においても31条2項が削除されなかったため、現在も看護師資格を有しない保健師、助産師が看護業務を行うことが許容されている。−)ことから、医療の安全を確保するための資質を欠くと判断された場合には、行政責任を負うこととなる。これら三つの責任は、それぞれ独立した責任ではあるが、互いに関連しており、医療過誤があったと判断された場合には、この三つの責任を問われることになる。

医療が医師を中心としたピラミッド型モデルで捉えられていた頃の看護業務は、『診療の補助』が仕事の中心と考えられていた。もちろん、「診療の補助」であっても、具体的業務においては看護師の思考・行為が介在し、医師からの指示内容を看護師が誤解して医療事故が発生した場合には看護師独自の責任が発生するというのが論理的帰結であるが、多くの場合には、医師の指示監督責任の影に隠れて表面化することはなかった。看護師手足論は、診療に関する全責任を医師が負い、看護師の責任を回避するために機能していたと評価できる。

しかしながら、医療の高度化・専門化・複雑化の中で、マンパワーの限界が意識され、また、患者の権利意識の高まりにより、医療モデルは医師中心のピラミッド型モデルからチーム医療モデルへと変化した。

チーム医療においては、看護業務が独立した専門職として意識されるようになり、看護師の主体性が認められることとなった。特に「療養上の世話」については、看護師の本来的業務としての意味を持ち、その比重は年々高まっている。ここにおいて、看護師の責任に対する評価も大きく変容した。看護師が、主体的な判断により業務を行う以上、この業務に関しては、看護師が第一次的責任を負担することになる。

また、看護師には、看護師としての専門的知識・技術が要求されるので、医師の指示に基づいて行う診療の補助について、従前医師の指示監督責任の影に隠れていた部分が顕在化することとなった。医師の指示内容を看護師が誤った場合には看護師個人の法的責任が問われることは当然として、医師の指示どおりに実施してさえいれば、注意義務を尽くしたということにはならない。

平成14年9月30日厚生労働省医政局長通知において、行政解釈上も、看護師等による静脈注射が許容されたが、同通知において、「看護師等学校養成所においては、『薬理作用、静脈注射に関する知識・技術、感染・安全対策などの教育を見直し、必要に応じて強化すること』」とされている意味を重く受け止める必要がある。専門職である看護師が『薬理作用』についての知識を有していなかったとの言い訳は通用しなくなりつつある。そこで、自己の知識・経験に照らし疑問のある場合には、医師に問いただす義務があり、これを怠った場合には、看護師も法的責任が問われることも十分に考えられる。(図3参照)

例えば、塩化カリウム(KCL)の原液を急速に静脈注射するとカリウム濃度が高くなり、結果として心室細動や心停止を起こす危険があることは看護師として当然知っていなければならない知識である。仮に、医師がKCLの静注を指示したとしても、看護師は、医師に問いただす義務があり、これをせずに漫然と静脈注射を行った看護師が法的責任を問われることになろう。

図3・看護師の法的責任の構造

V. むすび

法の定めが抽象的であるが為に求められること

近年の医療を取り巻く社会的環境には、極めて厳しいものがある。看護師個人が法的責任を問われる構造となっている現状において、『看護師が行いうる業務範囲を明確にして欲しい』という声をしばしば耳にする。確かに、医師の指示に基づいて行った行為が、後になって業務の範囲外とされたのでは看護師は安心して業務を遂行することはできない。業務内容を明確にすることで医師と看護師の責任範囲も明らかとなり、医師から業務範疇外の指示をされずに済むということも利点である。医療現場に身を置く者にとって、法の曖昧さはなかなか理解しにくいものなのかもしれない。

しかし、多岐にわたる業務内容を逐一法で決定することは現実的には不可能である。また、業務内容を明確にすることは、医師・看護師のいずれの業務範囲か判然としない場合に、いずれもこれを行わないという隙間を生じかねない。医療行為が生命に直結する業務であることからこのような隙間はあってはならない。法は、ある程度抽象的な表現とならざるを得ないのである。

診療の補助として看護師が行い得るかは、個別事案ごとに判断せざるを得ない。その際のメルクマールは、医師によるのでなければ「健康危害」を与える危険がある行為といえるか否かである。その結果、医療器材の発達や、専門職として要求される看護師の知識、技能の向上により看護師の行いうる業務範囲は広がる。このような柔軟な運用ができることは、法が抽象的表現を用いたことの利点ともいえる。

現場の悩みの本質は、法の定めが抽象的であるにもかかわらず、これを根拠に処罰されるおそれがあるという点にあるのではなかろうか。看護師が行いうる業務の範囲は、現場での試行錯誤、さらには、医療従事者、患者といった垣根を越えた討論の上に、慎重に検討すべき内容と考える。行政通知の内容が変更となることは、静脈注射の事例をみれば明らかである。行政通知にさえ従えばよいという風潮は、長期的に評価した場合、萎縮医療、萎縮看護を招きかねない。これは、医療を受ける患者の側にとっても不幸なことである。

安易な処罰ではなく、自由に討論できる風通しのよい環境こそが現在の医療に求められるものではなかろうか。

(c) 2007. 5. 30
加藤済仁(医師・弁護士)、蒔田 覚(弁護士)

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